超常現象

北村歯科  横浜市鶴見駅東口駅前

中世における魔女狩りから約400年、福来友吉博士が念写を発見してから約90年その歴史はまさにサイの戦場と呼ぶにふさわしい歴史を変遷してきた。しかし現実に多くの臨床家達が現実に心理療法の場で、また知的障害者とのコンタクトで。そして子供達の教育の現場で数々の超常現象と遭遇している。それはある意味ではオカルトやトリックといった現象と同一視されることも歪めない。しかしこの現在の概念では認知されない不可思議な現象が、解明出来る日はやってこないのかも知れないと考えている。しかし論理的な部分よりも再現性のある現象面での研究や現象の再現を考えて行かなくてはならないと、私は考えている。なぜなら、解明など待っているほどヒトの人生はながくないからである。


超常現象とその研究
超常現象を研究するにあたって私が常に念頭に置いていること

超常現象を研究していて最も大切なことは、宗教、迷信等とはきちんと一線をおいて決して混同しないことが大切である。超常現象は元来宗教上の偉人と密接な関係にあった。しかし現代においてはきちんとした境界線をもうけ決して迷信や宗教とは混同しないスタンスが大切である。また多くの落とし穴も待っている。以下はすべて私自らに対する警告であって第三者には、当てはまらない事をあらかじめ、ご了承願いたい。
  1. 輪廻転生思想:バージニア大学精神科主任教授であるイアン・スティーヴンソン博士が1960年頃から全世界より「前世を記憶する子どもたちの事例 」として2300ほどの事例を集め、研究を行なう価値が十二分にある事例をまとめて発表した。そして調査の事例において証言の食い違い等における疑問点をきちんと公開し提示し、読者に判断を求め、自らの判断は避けて判断を読者にゆだねている。しかしながらスティーブンソン博士の事例の中には傷、あざ、欠損と身体的形質を伴う事例も数々報告され、写真等の資料も文献には添付されている極めてまれでなおかつ貴重な調査結果となっている。しかしながら我々がしばしば耳にするのは、「自分の過去性が***だったから現世では***」といった曖昧な意見や、極端な例ではオームによる大量殺人もこの輪廻転生思想に基づいて行われた事を忘れてはならない。未だ正確な実証のない思想だけにこの思想に傾倒すると「人間としての倫理観の消失」につながりかねないということを忘れてはならない。今後も公平な考察が望まれる。                           
  2. ミイラ取りがミイラになる現象:超常現象を研究していく課程で自らがその現象の一端を垣間見る可能性もある。過去の事例でも自らが経験した一部の現象に執着していった研究者も数多い。すでにそうなった段階で研究者としては公平性を欠くことになる。「神が、神が」とい言い出したときすでに研究者としてはすでに終わっているのかも知れない。また超常現象を追い求めて行く結果、それらを追い求めるあまり、自らの自由に執着するようになる。現代において完全に自由になる事は現実的には困難な事である。自由、自由とこだわればこだわるほど、その為により多くの資金を集めようと欲して、ますます自らが不自由になっていく。自由になるには「うちでのこずち」でも所有しないのであるなら、ば限られた人間以外「何かを捨てる」以外に方法は無い。しかしながら現実は、自らの生活、研究資金等を考慮しながら、社会人として生活と研究とのバランスが大切であるよ常日頃考えている                           
  3. 社会人として:多くの宗教信者や精神世界の硲に生きている人たちと接しているといつも感じることは、実生活において自らが遭遇する出来事・・・不幸や幸福な出来事・・・が、何らかの存在によって引き起こされたかと考えがちである。しかし自らの生活においてほとんどの出来事は偶然と自らの行動や観念によって、また単なる流れによって起こる現象がほとんどである。多くの成功哲学者達は自らの観念によって自らの将来が好転できると主張する。超心理学においても多くの超常現象はヒトの観念によって起こされるものであるとの説を唱える研究者も多い。何事にもとらわれずよりよき社会人として生きて行きたいと常に思っている。                                                                                                        
  4. 心霊現象:福来友吉はあの時代に生きていながら生涯出会った能力者は8人足らずであると報告している。そして心霊現象は極めて希に起こる現象であるとの警告を発している。そして超常現象はほとんどがヒトの潜在観念によって惹起される現象であると主張した。その反面、大本と袂を分けた浅野和三郎は霊能開発の講義にの中で現在では「ダウジング」と呼ばれる現象を心霊現象の一つと捉えてその手法を解説している。しかし福来友吉は類似した現象を「ブランセットの場合」として潜在観念が引き起こす現象の一つとして解説している。                                                                        
  5. 偶像:ここで言う偶像とは、宗教で言うところの「偶像崇拝」ではない。ヒトは変性意識状態で多くの偶像に遭遇する。しかし催眠中に見られる不思議な現象や、夢の中で「正夢」と呼ばれるものが存在していることも広く認知されている。夢を例に取るならば、誰しもが夢を見た経験があるであろうし、夢で見たことが現実に起こった経験もあるかも知れない。しかしながら、自らの夢がすべて現実化すると考えるであろうか?。夢は多くのビジョン、音、声等現実世界の五感を伴って記録されているが、ほとんどが偶像である事は誰もが認知しているところである。フロイト論に代表されるように夢は潜在観念によって惹起されると考えるのが正論かも知れない。では正夢の捉え方をどうするか?と自問自答するならば、潜在意識のすぐ向こう側には超意識が存在していると自らは回答するであろう。しかし・・・・・顕在意識潜在意識<超意識と進む課程で最も広い領域であるのが潜在意識であると私は考える。そして潜在意識の段階でヒトは多くの偶像と遭遇する。例えばあるヒトがある種の状態で自らの「水子」に遭遇したと仮定してみる。それが超意識で遭遇した存在であるか?それとも自らの潜在観念で作り出した偶像か?・・・ある調査によるとわが国で「水子供養」といった概念が出来たのは1970年代からであるという報告がある。それはわが国の仏教界が商売のためにねつ造したものであると考察している。そしてそれ以前、少なくとも戦前にはそういった概念が存在しなかったとも報告もある。しかし「水子概念」が社会の隅々間で広がった影響でそのような偶像を見た可能性があるならば、「自ら経験した水子の偶像に遭遇して涙して」といった事を調査報告している出版物のその部分の内容は、その段階で体験したこと見たことは、潜在観念による偶像によるものと考察すべきではないかと考える。もしもその偶像があたかも実際に存在したものであると信じ、存在を喧伝したり「お墓を作った、移した」「水子と共に寝た」との報告を聞いて第三者もそれに感銘することがあるならば、その延長線上に、ある種の「社会悪」へと発展する可能性があることも危惧し一考すべきではなかろうか。しかし多くの偶像の洗礼を受ける段階を克服できなければ、真の超意識への道はない。逆に解釈すればこれらの偶像を見ることが出来たならば、超意識はすでにすぐそこにある。私は、その点については自信を持って断言できる。                                                                        
  6. 否定論者、反対論者:SKEPTICSと呼ばれる、否定論者の団体が数カ国にあり、わが国にもあるが、実は彼らの意見も貴重な選択肢として、私は注目している。例えば、東洋医学で鍼灸が本当に有効か無効かとの論議の中で、これらの療法に置いてコントロールすなわち比較対照群がとれないことを、有効とは言えない根拠としているなどは、一考に値する。その点は心理療法も同様である。また、今までサイ現象、超常現象の世界の中にはトリック、偽物や、悪徳商法や社会悪まで発展していった例も見逃せない事実である。元来マジックなどは、超常現象を技術で再現するものであり、超常現象とは切っても切り離せないものであり、その点も、誤解を生む原因であると考えられる。しかしながら、優秀な研究者、科学者として地位を築いて来た学者が、単なる感情で「そのような現象は絶対ない」と無根拠で主張する場合も今まで多かったのも事実である。一つの論理を証明するために、彼らは計り知れない努力をしてきたにも関わらず、超常現象となると、単なる感情で勝手に決めつけてしまう。これがいかに無謀な行為かは、彼らが研究者の立場で考えればすぐ判断できることであろう。まるで、今までの業績を一瞬で失うかのような発想を展開しているように、私には思える。私は個人的見解として、そのような事で論議する気はない。なぜなら、ラーメンとカレーライスがどっちが、うまいかと論議しても仕方ない問題である。そしてどう捉えるかは個人の自由意志ではないかと考えるからである。
  7. (これはかなり過去の文章です。多くの訂正個所をいずれ修正する予定です)


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